「なぜ私は死なないのか、それどころかなぜ生きる必要があるのか」についての弁明と「死ぬまでになんとか解決しておきたい」問題について。

 「なぜ私は死なないのか、それどころかなぜ生きる必要があるのか」についての弁明と「死ぬまでになんとか解決しておきたい」問題について。

 

非常に長くなってしまった。

 

高校生の時に私がずっと感じ続けていたのは「自分が恵まれていることに対する罪悪感」だった。

 

当時の私にとって入試で合格した高校に通うことはそれ自体が「恵まれていることの確認作業」に違いなかった。この競争がゴールラインでは何らごまかしがないのはわかっていた。しかし、スタートラインにさえつけなかった人間がいることはわかっていた。私はこの競争において有利なスタートラインからはじめることができた。

 

私の高校生活や人生はすべて滞りなく安全と信頼に満ちていて、それらで舗装された道路を進むことは私だけではなく私の周囲にとっても望まれたことであった。

 

「だからこそ」高校を中退する必要があった。

そして事実、中退した。 

 

とにかく高校を中退したことで「大変なことになったな」と思った。

その時の感覚は三〇歳を超えた今でも強いリアリティを伴って思い出される。

最初はとにかく「いま学校にうまく説明すれば戻れるのではないか」という気持ちでいっぱいだった。

中退したからといって何かビジョンがあるわけでもなかった。

 

しかも。

高校を中退したところで私が恵まれていることに変わりはなかった。

高校中退という身分で現実社会に飛び出る勇気がなかった私が選んだのは大学進学だった。しかも近所の大学ではなく、上京して関東の私立大学に通う計画を立てた。

 

事実、そういう進学先を選び、実際に進学した。

中退したところで私が恵まれていることに変わりなく、しかも私はその恵まれた地位と金を「これでもか」というほどに利用した。

 

ここでもまた失敗。

 

その後は大学も中退した。

障害者となり、その後に借金を重ね、自己破産もした。

いろいろな人に迷惑をかけた。

 

しかしそれでもなお…いや「こんな人生を歩んだからこそ」、自分が恵まれているという感覚は日々強くなるのだった。私が人の道(「人の道」とはなんだろう。不思議な言葉だ)を踏み外さずに済んだのは、あるいは人生や社会に対して絶望せずに済んだのは私の力によるものではなく、周囲の人々の助力と思いやりによるものだった。

 

もっと違う形で触れあえば厳しかったであろう病院や警察の人々でさえ私の話を親身になって聞いてくれて、私にできそうな提案をしてくれるのだ。

 

もはや「死ぬしかない」と思った。

私が生きれば生きるほど、失敗を重ねれば重ねるほど、周囲の人々(親や家族、友人だけではない、赤の他人まで)は私に愛と思いやりをもって接してくれる。

「だからこそ」、本当に死ぬしかない。

 

しかし、と思う。

私には「死ぬ前にやりたいこと」がある。

 

それは単純明快、「自分で働いて稼いだお金で奨学金のための寄付をする」ということだ。私がもっとも恵まれていた理由のひとつ、それは「社会に出る前の中等教育・高等教育の段階で自由な選択ができる(時間と金銭の)余裕があった」ことだ。

 

もちろんひとつだけではない、様々なファクターが考えられるけれど、私の後半生(15歳から30代までの今まで)を振り返ると、高校や大学といった進学先の選考にあたって「急がずに済んだ」ことは私の人生における「最大の恵み」であったように思う。

 

だからこそまだ死んではならない。

 

まだ具体的なビジョンはない。

だが、生きる意味がある。

…あるいは、仮にそれがなくても「生きる意味とは?」と常に自分自身を問い詰めること。

 

とにかく私は自分で働けるようになるまで回復しなければ。

 

そんなことをつらつらと思った。

最後は駆け足になってしまった。

 

久しぶりに一日中一桁の気温を記録した福岡の自室でこれを書いた。

 

死ぬまでになんとか、もろもろの問題が解決できているように。

 

今日はここまで。